2021-11-17 21h05
いくぶんか気落ちしていた。
社会は少しずつ動き出しているのに、行動を制限しなくてはいけない。体の不安から自分自身が選んだこととはいえ、思うように動けないし人にも会いづらいのは、1年半ほとんど人に会えなかった期間の後だからよりのしかかってくる。ただでさえうまく社会参加できていない自覚があるのに、ますます遠のいてしまう。
せめて動き出せた日のためにこつこつやっておこう、という計画も進んでいるとは言い難い。つまり外圧のせいばかりではなくて、自分の中に相変わらずある問題が根本にあるのだということは自分でも分かっている。
SNSで繋がりのある陶芸をされている方がティーカップと匙、おろし金(金ではないか…)、ベルを送ってくださって、それが今日届いた。
手触りも重みも厚みもとても好きだ。色んな光のところに持っていって見つめたり、手で包んだり、それでお茶を飲んだりして、一日嬉しい気持ちだった。
こんなに何もできていない私のことを思い出してくれる方がいるんだから、腐らずに頑張らなければいけない。
いや、誰も待っていなくても期待をしてくれていなくても、やらなきゃいけないことはあって、やるのだけれど。
夜にはもうひとつ嬉しいお便りがあって、嬉しいことを頂いてばかりだ。
そもそも誕生日にはたくさんの方がメッセージをくださったのだし、ぶつくささぼる理由を見つけていてはいけないのだった。
なんにでもすぐさま「お返ししなきゃ」となるのも色気のないことかもしれないけれど、いただきっぱなしではいたくないし、長い視野でなにかわたしからも届けられるようでいたい。
私が届けられるものはなんなのか、わからないけど。